┃ 赤き華あかき光を ┃ 一本の道とほりたり ┃ 逆白波のたつまでに ┃ 茂吉以後の歌人 ┃
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3 逆白波のたつまでに |
昭和20年(1945年)の金瓶への疎開、翌年の大石田への移居、昭和22年の帰京、文化勲章受章、そして享年70歳9カ月の生涯を終えるまでの茂吉を紹介しています。 |
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■ふるさと金瓶、そして大石田へ昭和20年4月10日、戦火の東京から上山へと疎開した茂吉(63歳)は妹なをの嫁ぎ先だった斎藤十右衛門家の蔵座敷に落ち着き、ここで終戦を迎えます。翌年1月、出征から帰還する十右衛門家の息子たちに部屋を空けるため、茂吉一家は雪深い大石田(尾花沢市)の二藤部家へと居を移し、敗戦に沈んだ心身を郷土の自然風土に浸すようにして過ごします。 かぎろひの春さり来る最上川 |
![]() ![]() ▲茂一宛の葉書 |
![]() ![]() ▲大石田の最上川のほとりにて |
![]() ![]() ▲冬の大石田にて (昭和21年) |
![]() ![]() ▲金瓶にて (昭和20年) |
■茂吉、東京に帰る 昭和22年11月4日、茂吉(65歳)は二年半ぶりに東京世田谷の帰宅します。そして昭和24年4月には歌集『小園』、同8月には歌集『白き山』を相次いで出版。疎開の間に高めたみちのくの風土と人への思いを結晶させます。 |
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