こちらの特別展は終了しました。
茂吉の妻斎藤輝子は、1895(明治28)年、病院を経営する斎藤紀一の次女として東京浅草に生まれました。その10年後、まだ幼い輝子の婿養子として入籍し斎藤家の一員となった茂吉は、「をさな妻」と題した歌11首を歌集『赤光』に載せています。1924(大正13)年、留学中の茂吉と落ち合い、欧州各地を巡った旅をはじめ、茂吉没後の南極旅行、エベレスト登山など、極地を含む世界各地を遊歴した輝子の猛女ぶりを、茂吉や家族との関わりとともに紹介いたします。主な展示資料
書
- 斎藤茂吉 ほのかなるものなりければをとめごはほほと笑ひてねむりたるらむ
- 斎藤茂吉 もの投げてこゑをあげたるをさなごをこころ虚しくわれは見がたし
原稿
- 斎藤茂吉 作歌四十年
- 斎藤茂吉 斎藤輝子宛 1924(大正13)年7月11日
- 斎藤茂太 斎藤輝子・北杜夫『快妻オバサマ vs. 躁児マンボウ』文庫版解説
書簡
- 斎藤茂吉・輝子 渡辺幸造宛 1921(大正10)年9月6日
- 斎藤茂吉 斎藤輝子宛 1924(大正13)年7月11日
- 斎藤茂吉 高橋四郎兵衛宛 1934(昭和9)年3月9日
- 斎藤茂吉 斎藤茂太(家族)宛 1946(昭和21)年8月10日
- 斎藤茂吉・宗吉(北杜夫) 斎藤輝子宛 1950(昭和25)年7月25日
- 斎藤茂吉 斎藤輝子宛 1950(昭和25)年8月2日
- 斎藤輝子 旅先より家族に宛てた絵葉書
斎藤輝子旧蔵品・その他
- 箪笥、コート、傘、アンモナイト
- 旅行カバン、旅行パンフレット
- ダチョウの卵ほか海外旅行土産
- 帝国脳病院薬局看板「脳丸」
書籍・雑誌
- 斎藤茂吉 歌集『赤光』
- 斎藤輝子関連本・対談雑誌
- 主催
- 公益財団法人斎藤茂吉記念館
- 共催
- 山形県・公益財団法人山形県生涯学習文化財団